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2005.05.21

レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語

『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』
“Lemony Snicket's A Series of Unfortunate Events” by Brad Silberling
2004年*USA*スタンダード?

TOHOシネマズ府中 スクリーン8にて

美術装置や衣装は素晴らしい。オープニングとエンディングのそれぞれのクレジットも、かなりの出来。

しかし、話が(まだ読んではいないがたぶん原作そのものが)、観客を莫迦 <ばか> にした、鑑賞者の思考力をとても低いところに設定した、そんな内容なのだ。でも、たぶん、この“話”が好きなひとは、僕がヘンだと思うところが好きなんだろうなあ。

別に、happy endingを指向しない“不幸が続く”(本当は作者が冒頭から主張するこの言い回しそのものに虚偽があるようにも思うのだが)話でも構わないし、上っつらだけは可愛い子供たちがひどい目に遭うなどという話であるならば、それもまた楽しいだろう。そこが問題なのではない。

奇怪な欲望(他人の相続した巨額(?)の財産を自分のものにしたい)を満たすため、尋常ならざる手段(もっと簡単な方法がいくつもある〜最も一般的(笑)に行なわれているのは相続人=被後見人を手なずけるというもの)を用いて、異常な執念で何度も悪巧みを試みる、この、およそ存在として有り得ないたった一人の悪役を、たとえファンタジーと呼ばれるユルいフィクションの上であっても受け容れられるか(モラルの点ではなくアリかナシか)どうかで、この作品に対する感じかたも違ってくるだろう。僕は、納得できませんでしたが。

大した伏線らしいものもないけれど、次回(あるとして)以降の話で、たくさんある謎(あるいはバカげた部分の理由)が解けたとしても、そのことでこの作品自体の評価が変わるということではないだろう。そもそも、シリーズものの作りかたとして、それでは駄目なのだ。

異常な悪人が作品内で存在し得るのは、管財人(銀行家)・警察官・判事など、およそプロフェッショナルであるべき周囲の者たちが、なぜかことごとく無能であるため。どうして無能なのかといえば、それは、無能でなければこの作品が成立しないからだ。こういう作りかたは、一言で言うなら無礼である。観客というものを莫迦にしているのだ。

せいぜい好意的に受け止めると、悪人の“マヌケな計画”と3人姉弟の“発明・知識・噛みつき(^^)”との対決に面白みがあるというのが、映画の作り手たちのねらいなのかもしれないが、そんな表面上のおかしさだけでは、とても1本の映画として成立しない。

邦訳は8冊目まで出ているシリーズの、たぶん3冊目までの映画化らしいけれど、続篇も作るのかなあ…。うーむ。

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