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2005.12.11

あらしのよるに

あらしのよるに
監督/杉井ギサブロー
2005年*東宝*ヴィスタ・サイズ

TOHOシネマズ府中スクリーン3にて

これって、よく知らないのだが、もともと教科書(?)に載った短い話(2匹が嵐の夜に小屋で出会って翌日の再会を約束して別れる、というところまで)が好評で、それでどんどん書き足されたんじゃなかったかな?

画も可愛い(笑)し、メインの2人(中村獅童と成宮寛貴)も、声優としても悪くないのではないか。

しかし…、問題はやはり内容そのものである。2匹(と2つの集団)の状況から、人種・民族・国籍・宗教・思想的立場などで対立する人間の状況を想起させようというのは、はっきり言って無理がある。

人間同士は、どれほど違いがあっても、どれほど嫌悪し合っていても、それでもたとえば子供を作ることが出来るし、互いを食物として認識したりはしない(或る特殊な習俗下での例外を除く。あ、あとそういう嗜好のひとも若干いるか(^^;)それも除いて)。

オオカミとヤギが居て、そりゃ、中には突然変異のように仲良く(=食べない)する個体があっても構わないけれど、周囲がそれを理解しないのは、それはその周囲の論理のほうが正しいのである。っていうか、仲良くすることのほうが、生物として明らかに異常な状態なわけだし(笑)。

まあ、こういう寓話(便利な言葉である)に対して、そういう突っ込みは禁句なのかもしれないけど。でも、寓話・ファンタジーを使って、現実社会に対して何かを言おうというのは、それ自体に対する労力は別にして、しかし結局は怠惰な行為なのではないか。

たとえ話のほうが、直截 <ちょくせつ> 語るよりも相手に伝えやすい・伝わりやすい、という考えかた、それは、対象から逃げているのだ。たとえば、戦争行為に対して「皆で軍隊にどんどん入って面白おかしくやろう」とからかうのは、なにか洒落た(^^)斜に構えてかっこいい感じも(ひとによっては)するだろう。「戦争を避けよう」という単純な主張は、とにかくくそ真面目で、何も面白みがない。

どんな事柄に対してであっても、面白そうであれば良くて、面白くなさそうなことは良くないのか。本当にそうかな?(^^)

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