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2008.04.04

異なる意見とどう接するかについての基本的な話

Aという考えかたBという考えかたがあったとする。別に、そんなにはっきりと区別のつかない考えかたの相違であったとしても、構わない。

そして、Bという考えかたを「勢いづかせる」ように(A集団にとっては)思える作品が、そこに存在したとする。別にその作品とは、論文や小説・脚本などの活字媒体であっても、TV番組や映画でも、CDや音楽ファイルなどであったとしても、同じことである。

このとき、その“Bという考えかたを「勢いづかせる」ように(A集団にとっては)思える作品”に対して、Aという考えかたを持つ者が反論するには、どうしたら良いか。

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1 批評・批判という形で、いろんな場で、とにかく反論する。本体がかすむくらいに、論破してやれよ(笑)。

2 その“作品”と同形態で、それに反証するような作品を作る。論文なら論文で、小説なら小説で。ほら、くそ真面目(だからそれが面白い)な作品のパロディ作品を作ることで、そのモトになっている作品の批評になる場合があるだろう? あれも、ものによっては批評というより批判・反論なのだ。

3 その“作品”が流布する(される)と、あまりに深刻な被害をもたらすことが予想できる場合、告訴という方法もある。ただし、これは明らかな名誉毀損くらいにしか使えない。告訴するのは自由だが、モノによっては、そもそも裁判所が受け付けてくれないだろう。
ある特定の考えかた(どんなに事実と異なるようなものであったとしても)を自分の中で「思う」のを禁ずる法は、少なくとも今の日本には無い。その“考え”を外部に向けて表現することも、いくつかの例外を除いてほぼ自由である(とされている)。

4 その“作品”を大勢のひとが享受できないようにする。
小説なら、その本や掲載雑誌を買い占めて、埋めるか焼くか裁断してしまう。
演劇なら、上演中に客席でくしゃみ・せき・げっぷ・芝居の流れと関係のない拍手や笑い声・携帯電話を鳴らす、などの攻撃(笑)をくわえてみよう。5人くらいが場内に散らばって交互に攻撃すると、どんな大劇場での公演でも、壊滅的になるだろう。
以前、映画館のスクリーンにむけて消化器が発射された事件もあったけど、単に嫌がらせをするなら、電源の入った携帯電話の画面を開いたり閉じたりするだけでも、効果覿面 <てきめん>である。デジタルカメラなどのフラッシュを、スクリーンにむけて光らせるだけで、もう画面は真っ白!

5 その“作品”の存在を消す。いちばん効果的。
小説・CDならば、発売禁止。発売されていなければ、当然、受け手にはその“作品”の内容は届かない。いちいち買い占めたりする手間が省けるから、これはリーズナブル。ただ、発売禁止にまで持って行くのは、なかなか大変らしい。
演劇は、当の作者ならば「上演差し止め」の仮処分を申請できるけど、それ以外のひとにはどんな方法があるだろうか。たとえば、上演される劇場へ抗議してみよう。大劇場での公演ならば、スポンサーもたくさんついているだろう。そこを攻撃するのだ。
映画も、まあ映画館を突っつくのが効果的なのかもしれないけど、演劇の大劇場などと違い、まあ、良い意味で腹の据わった館主が多いから、意外に難しいんじゃないかな。あ、現在の映画館=大手の興行会社の子会社がやっているような、見かけは小さめだけど大企業、そんなところなら、簡単に崩れるのかも(^^;)。

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ええ、いろいろと書いたけど、しかし、4番や5番のやりかたは、実はお薦め出来ないのだった(爆)。1~3番のやりかたは、時間もかかるし、効果もあまり出ないだろう。裁判は勝訴すればともかく、まあ、そもそも訴訟レヴェルまで行けるような対象なら、訴訟の手前でもうボロボロだろうし。

でも、1~3番のやりかたは、実は攻撃する側にとっても安全なのだ。このあたり、なかなか4・5番の攻撃方法が好き(?)なひとには理解してもらえないのだが、まあ、やってみる。

4・5番のやりかたで、「問題のある」Bという考えかたを封じ込めるのに成功したとする。世の体勢は、Aという考えかたを主流と捉えている。つまり、Aの世界だ。良かったね(^^)。
でも、4・5番のやりかたでは、今後、Cという考えかたDという考えかたが新しく出てきたとき、自分たちが今度は、同じやりかたで封じ込められる可能性が高いのだ。

そんなの、そのときになってみないと分からないし、とにかく、いま反対している考えかたを封じ込められたんだから、別に良いんじゃない?

もしそう考えているんだとしたら、果たして、それは正しいだろうか。っていうか、正誤というよりも、広い意味で、単に「安全な考えかた」ではないと思うのだが。

とにかく、大きな世界全体の流れとして、ときどき小さな(あるいは大きな)揺り戻しはあるにせよ、思想信条の自由&それを表現・発表する自由は、洋の東西や体制の違いを問わず、建前としてはどんな国でも認める、ないしは、より認めていく傾向にあるわけで。

(ほとんどの“独裁国家”でも、建前として・文言としては、そういう自由を認めるというポーズをとっている、そのくらい重要な「自由」なんだけどなあ(笑))

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まあ、いろいろと書いたけど、でも、世の中がどんなにきな臭くなろうとも、オレも43歳だし、けっこう高 <たか> をくくっているところもある(笑)。
だって、いくら若者の絶対数が減っているとはいえ、これで徴兵・または志願兵募集などということになったとしても、40代の人間が最初に引っ張られるということは、まずもってありえないということなのだ。
まあ、今後の戦争は、少なくとも民間人を大量に徴兵する、そういったタイプのものにはならないだろうけど。でもなあ。

それにしても、ほとんど読んだことはないけど、ネット上などでは、ずいぶん勇ましい意見も流れているようだ。まあ、もうどうなろうとも平気・同じこと(^^;)、という御高齢のかたがいろいろと発言なさるのはまだしも(だから良いということでもないが)、若い年代が、これまたずいぶん勇ましいヤツも多いらしくて。
だから、さっきも書いたけど、大丈夫かな? 徴兵となったら、20代なんて、まず最初に引っ張られるはずなんだけど。

戦争そのものも、映画や小説・ゲームなどとは、違うと思うぞ~。まして、戦争以前に、まず軍隊生活。ああいう集団生活に、いまの若い世代が平気で順応できるとは、とても思えないのだが。オレくらいの世代だって、かなり無理があると思うけども。

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【評価】

※結論 なし(公開が中止になったドキュメンタリー映画を公開せよ、などという主張は、ここには無い)

※展開 無理がある(けっこうフラフラしているようでいて、徴兵を持ち出して危機感をあおるあたり、いったいいつの時代の文章なのか。第一、そんな危機感って、現実味がないし~)

※それにしても「徴兵」ってどういう意味?(^^;) ⇒それくらいは自分で調べよう

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